不遜なヤツにも謙虚な態度を

議論
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 今回のテーマは「不遜なヤツにも謙虚な態度を」である。引用から話を始めよう。

 そもそもあなたが望ましい姿勢を示さなければ、聞き手が応えてくれることはない。

 上から目線で話している印象を与えてはいけない。論題に関して相手はよく知らないかもしれないが、学ぶことは疑いなくできるのだし、あなた自身にも学ぶ余地がある。あなたは彼らの無知を救うためにその場に立っているのではなく、新しい情報やアイデアを共有して互いに刺激し合い、参考にし合うのが目的のはずだ。聞き手に対しては、優越感ではなく熱意を持って語りかけよう。

(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p147)

 今回は議論に臨む上での態度についての話だ。議論に参加するとき、議論の技術や能力以上に議論に臨む態度が重要であると言っても過言ではないだろう。過去の記事でも何度も述べているが、議論において大事なのは、勝負の態度を放棄し、謙虚な態度を心掛けることである。まずは自分から率先して「謙虚な態度」を心掛け、自分のように「謙虚な態度」を心掛けるように相手に促すのだ。まずはあなた自身が態度で相手に手本を示すのだ。

 相手がいかに不適切な態度、不遜な態度をとっていようと、あなたは謙虚であり続けるべきだ。相手の不適切な態度に同調してはならない。不適切な態度をとる者には毅然とした対応をとるのだ。あなたはあくまで適切な議論を実現するために謙虚な態度を大切にし、とるべき態度の手本を相手に示すのだ。あなたがそうしなければ、相手が改心する可能性は一向に高まらないだろう。「聞き手が応えてくれる」可能性を少しでも高めるように我々は努めるべきだ。

 勿論、その際に「上から目線で話している印象を与えてはいけない」。議論・論証においては、基礎的な知識・情報を提示したり相手に反論したりすることが必要不可欠である。だが、それらの際に「相手に教えてあげる」という態度はとらないようにしよう。たとえあなたが「上から目線で話している」つもりがなくても、「教えてあげる」という態度が透けて見えると、聴衆はどうしても「上から目線で話している」印象をあなたに抱いてしまうだろう。議論に関わる全ての人が対等であるべきだ。対等に学び合うべきだ。「新しい情報やアイデアを共有して互いに刺激し合い、参考にし合う」べきだ。みんなで特定の問題・事象に関する理解を深める場所、それが議論である。

 自分の意見が通ったからといって、自分のアイデアが採用されたからといって、優越感を抱くべきではない。自分の意見が通らなくても、自分のアイデアが採用されなくても、気に病む必要はない。たしかに、議論においては、Aさんの意見に妥当性があると判断される一方で、Bさんの意見に妥当性がないと判断されることがある。いや、この言い方は極端だ。正しくは、Aさんの意見はBさんのそれよりも妥当性があると判断されることがある。

 しかし、直感に反するかもしれないが、「妥当性のある意見と妥当性のない意見は等しく重要である」。なぜなら、どちらの意見も理解を深める上で必要不可欠であるからだ。「何が妥当であり、何が妥当でないか」を知っていくことで、加えて、(ある意見が)「妥当であると考えられる理由」と「妥当でないと考えられる理由」を突き詰めていくことで、取り扱っている問題・事象に関する評価基準がどんどん明確になっていき、その問題・事象に関するより詳細な認識を獲得できるようになる。誤りを発見することは正解を発見することに値するのだ。

 ちなみに、自分の意見やアイデアを通そうとする必要もない。議論とは、自分の意見やアイデアを通そうとする場所ではなく、各々の意見やアイデアを参考し合って特定の問題・事象についてのより深い理解に達しようとする場所である。

 以上のような議論観を受け入れるなら、「謙虚であること」は難しいことではないだろう。論証するとき、議論をするときは謙虚であることを心掛けよう(できれば日常生活においても)。

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