宇宙人は地球人へ連絡する気がないという可能性もある。【代案を検討しよう】

議論
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 今回のテーマは「代案を検討しよう」である。引用から話を始めよう。

ルール33:代案を検討する

 自分の提案の正当性を主張するには、その提案が問題の解決につながることを示すだけでは十分ではない。他の実行可能な方法よりも優っていると示さなければならない。

 ダーラム市のスイミングプールはいつも大混雑で、とくに週末はひどい状況だ。それゆえ、ダーラム市はプールをもっと増やすべきだ。

 この論証はいくつかの点で説得力が弱い。そもそも「大混雑」という表現があまりにも曖昧だ。だれが、どのプールがいつ、どれくらい混んでいると報告したのだろうか?それに、世の中には混んでいる場所を選んで行く人もいるかもしれない。さらに、そうした弱点を改善してもまだ、結論は正当化されない。混雑を緩和するには、もっと手軽な方法が考えられるからだ。

 既存のプールで自由に泳げる時間をもっと長くすれば、利用者はそれぞれに都合のいい時間に利用できて、特定の時間に殺到しなくなるだろう。利用者の少ない時間帯はいつか、周知徹底するのも有効だろう。水泳チームの練習などでプールを貸切にする日程は、終末から平日へ変更するべきかもしれない。あるいは、ダーラム市は余計な口出しを差し控えて、利用者たちが利用方法を調整するのにまかせるのがいいのかもしれない。それでもやはり、ダーラム市がプールをもっと建設するべきだと主張したいなら、これらの代案(いずれもはるかに手軽な解決策だ)よりも自分の提案が優っていることを示さなければならない。

 代案を検討するのは形式的な作業ではない。うんざりするほど明白で容易に反論できるような代案をいくつか考えただけで、やはり元の提案が優っているとさっさと納得してしまうようではいけない。本気で代案を探し、想像力を発揮しよう。全く新しいアイデアを思いつくこともあるかもしれない。例えば、前述のプールなら年中無休24時間利用可にしてしまってはどうだろうか?または、遅い時間にスムージー・バーを開いて夜間の利用者を増やしてはどうだろうか?

 もし本当に素晴らしいことを考え付いたのなら、結論を変える必要はない。

 最初に取り出した大判の用紙に戻って基本となる論証を書き替えることになる。そうして試行錯誤するのが、考えるということだ。

 一般的な命題や哲学的な命題についても代案の検討はある。たとえば、宇宙のどこかに知的生命体が存在するなら地球へ向けて連絡を取ろうとするはずだが、現実にはそうしたことは起きていないので、地球以外には知的生命体は存在しない、と論じられることがある。だが、この前提は真実だろうか?別の可能性はないだろうか?もしかしたら、地球以外にも知的生命体はいるのだが、地球へ連絡をする気がないのではないか。あるいは、沈黙を選択している、あるいは地球に関心がない、あるいは「文明」が違う方向に発展していてテクノロジーを有さないとも考えられる。または、交信を試みてはいるのだが、地球人が理解できない方法で実行しているのでは?推論にもとづく部分が非常に大きいものの、それでも可能性のある選択肢が存在することは、地球以外に生命は存在しないという反論を弱める。

(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p127~p130)

 なぜ代案を検討しなければならないのか?と尋ねられたら、「他の実行可能な方法よりも優っていると示さなければならない」からだと答える。あなたがとある提案をしたとき、たしかに、その提案は正当性・妥当性・信頼性のあるものなのかもしれない。しかし、より正当性・妥当性・信頼性のある別の提案が存在するかもしれない。もし、そのようなより良い別の提案がなければ、あなたは提案を変える必要がない。ただし、代案を検討しないことには、自分の提案より良い提案が存在するかどうかが分からないし、それゆえに、提案を変えるべきかどうかも分からない。

 自分の提案を定めたのなら、次にするべきは「代案を検討する」ことである。代案を探した結果、代案に相応しい提案がないのであれば提案を変える必要はない。提案を変える必要がないということそのものが、その提案の正当性・妥当性・信頼性を何よりも保証するのだ。一方、代案に相応しい提案を発見した場合、自分の元の提案を修正したり撤回したりする必要が生じてくる。その必要に応えて、元の提案を修正したり、撤回してより良い別の主張を採用したりして最終的に仕上がった提案は言わば「完成品」である。議論という公の場においては、提案の「完成品」を出品することを目指そう。

 勿論、本気で熟慮して代案を考え出さなければ何も意味がない。自分の提案に対する反論・反駁を本気で考え出すことなしに、より良い代案も、より良い論証も生まれない。自分の提案に対して(自分で)考え付く反論・反駁のクオリティが高ければ高いほど、ハイクオリティの論証を世に送り出すことができる。また、持論に対して考え付く反論・反駁のクオリティは論者としての実力を反映する。この実力は、議論経験の積み重ねと論証作成における試行錯誤の積み重ねによってコツコツと涵養していくものである。

 過去の記事においても何度も述べているが、特定の問題・事象について考えられる提案や主張が一つしかないということはない。引用内にあるダーラム市のプールの例と地球外知的生命体の例を見てもらえれば分かりやすいが、一つの問題・事象には多種多様な側面があり、多種多様な可能性があるものだ。どれくらい多種多様なのかということは当然分からない。因果関係・相関関係は非常に複雑であり、甚だ大量に存在するのだ。一つの問題・事象の因果を紐解こうとしても、(因果関係認定できそうな)相関関係のパターンの数は無限かに思われるほどあるのだろう。

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