世界は複雑だ。たいてい選択肢・可能性はたくさんある。/結論ありきの議論に誘導するために定義しない。【別の選択肢を見逃す/説得定義】

詭弁・誤謬
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 今回のテーマは「別の選択肢を見逃す/説得定義」である。まずは「別の選択肢を見逃す」という誤謬・詭弁について説明しよう。以下は引用である。

別の選択肢を見逃す

 物事が生じる原因は一つではなく、様々な原因が考えられる。例えば、E1がE2と関連しているからといって、E1がE2の原因だとは決められない。逆にE2がE1の原因かもしれないし、全く別の原因がE1とE2の両方の原因かもしれない。E1はE2の原因であり得るが、E2がE1の原因でもあり得る。あるいはE1とE2は全く関連していないかもしれない。誤った両刀論法もまた一例だ。一般に、選択肢が二つだけということはない。

(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p190)

 「別の選択肢を見逃す」ことについては、「議論」のページに掲載している「多くの原因と多くの複雑な相関関係がある | ギロンバ-議論場- (gironba.com)」という記事においても述べているので、詳しくはこの記事を読んで頂きたい。

 基本的に相関関係は一つではなく、たいていは複数のパターンが存在する。たとえ結果が一つだったとしても、多種多様な事象がその結果をもたらす原因として作用している可能性も十分にあるし、様々な要因が相互作用して、「一つの原因」のように見えるということも頻繁にある。また、結果だと思っていた事象が実は原因だったり、反対に、原因だと思っていた事象が実は結果だったりすることも頻繁にある。原因だと思っていた事象と結果だと思っていた事象の両方が、実は全く別の事象によってもたらされていたということもあるだろう。あるいは、それら両方の事象は無相関(互いの事象が全く関連していない)かもしれない。

 このように、相関関係というものは非常に複雑なものであり、「バタフライ効果」というものも考慮しようとするならば、相関関係はほとんど無限に存在すると言えそうだ。つまり、相関関係は「単純さ」からは縁遠いものであり、相関関係について考える際には、「難解な複雑性」と対峙することを覚悟しなければならない。当たり前だが、「選択肢が二つだけ」と想定してはならない。以上のことをしっかりと認識するだけで、より良い論証、より良い相関関係(因果関係である可能性が高い相関関係)を生産することができるし、「誤った両刀論法」(不当原因/誤った両刀論法 | ギロンバ-議論場- (gironba.com))という誤謬・詭弁も犯さずに済むのだ。

 次に「説得定義」という誤謬・詭弁について説明する。以下は引用である。

説得定義

 率直なようでありながら、誘導的な表現を使って言葉を定義すること。例えば、「進化」を「数十億年もの年月の間にめったに起きない出来事の結果として、種が変化するという無神論的な見解」と定義すること。説得定義は好意的な意味合いを含んで定義されることもある。例えば、「保守派」を「人間の限界について現実的な見解を持つ人々」と表現するように。

(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p190)

 「説得定義」とは、「誘導的な表現を使って言葉を定義すること」である。引用内の例で言えば、「無神論的な」と「現実的な」が「誘導的な表現」とみなすことができるだろう。我々日本人にはあまり馴染みがないかもしれないが、キリスト教圏やイスラム教圏などにおいては「無神論的な」という表現はネガティブな印象・イメージを喚起するものである。一方、「現実的な」という表現はポジティブな印象・イメージを喚起するものだろう。

 ギロンバ最初の「トピック作成のルール | ギロンバ-議論場- (gironba.com)」という記事で述べている通り、議題や論証に関する基礎知識を説明・定義する際には、偏見や固定観念を放棄して「中立であること」を心掛けなければならない。「誘導的な表現」を用いて、自分の見解や意見を議題設定・用語定義に含ませることは、(自分の都合の良い)結論ありきの議題設定・用語定義を行うことである。これは明らかな反則である。引用内の例のように、「誘導的な表現」を用いることによって、特定の見解(主に自分が支持する見解)を支持するように聞き手を誘導しようしてはならない。

 ちなみに、Wikipediaで「説得定義」の良い説明を見つけたので、これも紹介しておこう。「説得的定義(せっとくてきていぎ、persuasive definition)とは、メタ倫理学者のチャールズ・スティーブンソンが提唱した概念で、ある対象を記述する際に、なんらかの議論や見解を支持し相手を説得するために、特定の感情を呼び覚ますような語を目的にそって定義することをいう」(説得的定義 – Wikipedia)。「特定の感情を呼び覚ますような語を目的にそって定義すること」という説明はとても簡潔であり、分かりやすい。この説明をしっかりと頭に入れておこう。

 そもそも、議論という場が「参加者全員で特定の問題・事象についての理解を深め、(可能であれば)最適解や妥協点を妥結する」場であるという認識をしっかりと持っていれば、少なくとも「説得定義」を悪意ある詭弁として使うことはないだろう。結局、悪意を持って故意に誤謬を犯す「詭弁」は、「自分の意見を押し通そう」「議論で敵に勝ってやる」「他者を論破してやろう」といった誤った議論の認識に立脚しているからこそ起こるのだ。何度も何度も述べているが、議論には味方も敵もないし、勝敗もないし、ましてや「論破」などあるはずもない。だって議論とは「参加者全員で特定の問題・事象についての理解を深め、(可能であれば)最適解や妥協点を妥結する」ためのコミュニケーションなのだから。

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