結婚が幸福をもたらすのか?幸福が結婚をもたらすのか?別の何かが結婚と幸福の両方をもたらすのか?【多くの原因と多くの複雑な相関関係がある】

議論
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 今回のテーマは「多くの原因と多くの複雑な相関関係がある」である。引用から話を始めよう。

ルール21:因果関係は複雑だ

 幸福だが結婚していない人は多いし、結婚しているが幸福でない人も多い。だからといって、一般に結婚は幸福に影響しないということではない。幸福か不幸か(そして、結婚か独身か)には原因がたくさんあるのだ。一つの相関関係が全てではない。ここで問題になるのは、それぞれの原因の重要度の違いである。

 一部のE1が一部のE2の原因であると主張するとき、E1がE2を引き起こさない場合があること、あるいは別の原因がE2を引き起こす場合があることは、必ずしも反例とは言えない。単にE1がしばしばあるいは一般にE2を引き起こすと主張しているだけだからだ。つまり、他の原因はそれほど一般的ではない、あるいはE1はE2の主要な原因の一つであり、全体からすれば複数の原因があり、他にも主要な原因があるかもしれない、というわけだ。世の中にはタバコを一本も吸わないのに肺がんになる人もいれば、一日三箱吸い続けても病気とは無縁の人もいる。両者とも医学的には興味をそそられるし重要な例だが、いずれにしろ、タバコが肺がんを引き起こす第一の原因なのは変わらぬ事実だ。

 たくさんの異なる原因があいまって影響を及ぼしている。例えば、地球温暖化には様々な原因があり、その一部には太陽の活動の変化など自然的なものもあるが、だからといって人間が原因ではないとは言えない。何度も言うが、因果関係は複雑なのだ。多種多様な要因が働いている(実のところ、太陽の活動もまた温暖化に一役買っているのならば、それは人間活動が及ぼしている影響を減じるさらなる根拠となるだろう)。

  原因と結果は循環構造にあるのかもしれない。映画会社の独立性は創造性をもたらすかもしれないが、逆に創造性のある映画製作者はそもそも独立性を求め、それがさらなる創造性をもたらす、というループ状になっているわけだ。より自由な活動を求めるがゆえに創造性と独立性の両方を求めることもあるだろうし、とても素晴らしいアイデアを持っていて大会社に売りたくないということもあるだろう。事程左様に、因果関係は複雑だ。

(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p90~p91)

 過去の記事においても度々述べているが、相関関係は一つではない。たいてい相関関係は複数ある。特定の結果一つとっても、その結果をもたらす原因はたくさんあるものだ。我々は、一つの原因が一つの結果をもたらすと考えがちであるが、そのような単純な相関関係は稀であると思った方が良いだろう。

 では、思いつく限りの相関関係を提示すればよいのか?それは紙幅の制限や時間の制限により難しそうだ。となれば、我々は、数ある相関関係の中から重要な相関関係を厳選する必要がある。そうするためには、「それぞれの原因の重要度の違い」を比較検討しなければならない。

 「一部のE1が一部のE2の原因であると主張するとき、E1がE2を引き起こさない場合があること、あるいは別の原因がE2を引き起こす場合があることは、必ずしも反例とは言えない。単にE1がしばしばあるいは一般にE2を引き起こすと主張しているだけだからだ。つまり、他の原因はそれほど一般的ではない、あるいはE1はE2の主要な原因の一つであり、全体からすれば複数の原因があり、他にも主要な原因があるかもしれない、というわけだ」。この箇所の内容はそのまま頭に入れておいてほしい。

 相関関係とは「傾向」や「一般性」の話である。一つのあるいは少数の反例(らしいもの)が存在するからといって、必ずしも特定の事象における原因と結果のつながりの「傾向」や「一般性」が揺らぐわけではない。反例の存在は必ずしも特定の相関関係を否定しない。なぜなら、相関関係の役目とは、E1という原因が「しばしばあるいは一般に」E2という結果をもたらすことを主張することだからである。相関関係は別に、E1がE2という結果をもたらす絶対唯一の原因であると主張しているわけではないのだ。E1はE2という結果の ”主要な” 原因であると主張しているだけなのだ。相関関係の段階・時点では、あくまでE1以外にも複数の原因、複数の主要な原因が存在し得ることを認めているのだ。

 「幸福だが結婚していない人は多いし、結婚しているが幸福でない人も多い」。たしかにそうなのだろう。しかし、その事実は「一般に結婚は幸福に影響しない」という反論の根拠には必ずしもならないのだ。それは、引用内のタバコと肺がんの相関関係の例も同様である。

 「たくさんの異なる原因があいまって影響を及ぼしている」。「因果関係は複雑なのだ。多種多様な要因が働いている」。その通りである。何事に関しても、一概に断定できたり極論が妥当であったりすることはほとんどないのだ。

 引用内の地球温暖化の例のように、特定の事象に関して、たとえある物事が原因であると考えられるにしても、他の物事が原因ではないと簡単に無条件に決めつけることはできないのである。その両方が原因であるという可能性を(その他にも原因があるという可能性も)安易に捨ててはいけないのである。あらゆる原因の可能性を温存しておくことが大事である。

 「原因と結果は循環構造にある」場合は多々ある。これに関しては引用内の映画会社の例を読んでみればよく分かるだろう。このようになってくると、もはや「原因と結果」という我々人間の視点は本当に妥当であるのか?と疑いたくもなってくる。原因と結果を突き止めたと思っても、その原因が実は結果だったり、その結果が実は原因だったりするということがままあるのだ。かくも相関関係、因果関係は複雑なのだ。

 今回はここまでだ。今回覚えておいてほしいのは「原因も相関関係も一つではない。たいていそれらは複数あり、しかも複雑である。少数の一部の反例があったとしても、それは必ずしも相関関係を否定する論拠とはならない。また、原因と結果は循環構造にある場合も多々ある」ということである。

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