偏らない。誇張しない。切り取らない。【多様な視点、中立な視点の情報源を適切に引用しよう】

議論
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 今回のテーマは「多様な視点、中立な視点の情報源を適切に引用しよう」である。引用から話を始めよう。

ルール15:公平な情報源を探す

 特定の論争に強い利害関係を持っている人々は、その論争に関して言えば、情報源として適していない場合が多い。彼らは真実に口をつぐむ場合もあるだろう。刑事裁判の被告人は有罪が証明されるまでは無罪とみなされるが、公平な目撃者の証言が無い限り、無罪を主張する被告人の言葉を鵜吞みにする者はまずいない。

 事実を見たままに語ろうとしているからといって、それで十分かといえば、そうではない。見たままを正直に語っても、偏見が入り込む可能性は否定できないからだ。人間には見たいものを見る傾向がある。自分の見解を裏付ける情報には敏感に反応するが、否定する情報は無意識のうちに避けようとするものだ。

 そこで、公平な情報源を探そう。当該の問題について利害関係がなく、正確さに重きを置く、例えば大学で研究する科学者や統計のデータベースだ。大きな社会問題について語るとき、最も的確な情報が欲しいなら、特定の利益集団の意見に頼るだけではいけない。ある製品について信頼のおける情報を得たければ、その製品の生産者だけに頼るだけではいけない。

 商品やサービスについて最良の情報は、独立した消費者検査機関から得られる。特定の製造企業や販売企業などに属していない組織は、可能な限り最も正確な情報を求める消費者に応えてくれる。

 政治的な事柄について統計上の知識を得たければ、国勢調査局のような独立した公的機関で調べたり、大学の研究所などをあたればよい。国境なき医師団のような組織は世界各地で政治抜きに医療を実践しているので、比較的公平な情報源になり得る。彼らは特定の政府に対して支持も敵対もしない。

 勿論、独立性や公平性は必ずしも容易に判断できない。一皮むけば実態は利益集団などということがないように、情報源がしっかり独立していることをきちんと確かめなければならない。財源や独自の出版物をチェックし、様々な記録から活動の主旨を調べよう。主張が極端だったりあまりにも単純だったり、対抗する側への攻撃や要求に終始しているようならば、彼らの信頼度は弱くなる。繰り返して言うが、建設的な議論を提示しているもの、信頼できると認められているもの、反対意見やその論拠について徹底的に検討しているもの、そうした情報源を探そう。事実にまつわる主張は何であれ偏見に基づいている可能性があるので、自分できちんと確認しようとする姿勢は絶対に欠かせない。良い論証は情報源をきちんと挙げている。そして、都合の良い部分だけを抜き取って証拠とするのではなく、正確にきちんと引用されていることを確かめ、他に有用な関連情報があるかどうかもチェックしよう。

(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p70~p73)

 「特定の論争に強い利害関係を持っている人々は、その論争に関して言えば、情報源として適していない場合が多い」。これは議論をする際に特に注意するべきことである。文字通りだが、「利害」とは「得することと損すること」(利害とは – Weblio辞書)である。つまり、特定の論争の過程・結果によって自らの損得やその程度が決定されるような人々が「利害関係者」と呼称される。

 利害関係者の発する情報は、論の根拠としては非常に偏ったものになりやすい。なぜなら、利害関係者が自分の損得のためにその論争を自分の都合の良い方へ誘導しようとしたり自らの主張の方が好ましいと宣伝・喧伝したりする可能性や、自らの論敵を貶めるために情報を捏造したり「盛ったり」する可能性が非利害関係者よりも高いからである。

 言わずもがな、論の根拠としての情報及び情報源は基本的に公平中立であるべきだ。第三者視点から記述された情報源が好ましい。ルール・秩序ある議論においては、偏った情報源には他の議論参加者から疑義が呈される。もしあなたが提示した情報及び情報源が他の議論参加者から適切な情報源として認められないならば、あなたの論もまた適切な論として認められない。ルール・秩序ある議論において偏った情報源ばかり提示していると、あなたの論に耳を傾ける人はいなくなってしまう。

 ただ、少しの偏りであれば許容できる場合もある。例えば、偏った情報が「無いよりはマシ」とされて一応受け入れられる場合や、偏った情報であることを主張者が公に認めていて、かつ偏りが議論を進める上で考慮できる程度である場合。

 ちなみに、偏りの程度を問わずに情報源として認められる場合が唯一あるとすれば、「偏った情報源」そのものがトピックになっていて、偏った情報源そのものについて考察する場合である。

 しかし、利害関係者による情報、利害関係者という情報源は非常に偏ったものになりやすく、特に、単独の情報源としては許容できない情報源である。

 もし、持論の根拠として偏った情報源が含まれるのであれば、その偏った情報源とは逆方向(逆ベクトル)に偏っている情報源や第三者視点から記述された公平中立な情報源を加えて、根拠全体のバランスを取ることも一つの手である。

 例えば、原子力発電についての情報を原発反対派の団体から引用するのであれば、それに加えて、原発推進(賛成)派の団体が記述する原子力発電についての情報も引用するのが好ましい。第三者が記述した公平中立な情報源があればさらに好ましい。

 様々な視点から記述された多くの情報源の中で一部が偏った情報源であることは許容できる。しかし、偏った情報源を単独で根拠とすることや、偏った情報源ばかりを根拠とすることは許容できない。

 また、「事実を見たままに語ろうとしているからといって、それで十分かといえば、そうではない。見たままを正直に語っても、偏見が入り込む可能性は否定できないからだ。人間には見たいものを見る傾向がある。自分の見解を裏付ける情報には敏感に反応するが、否定する情報は無意識のうちに避けようとするものだ」。これは万人が常に意識・把握しておくべき内容である。この文言をそっくりそのまま覚えてほしい。

 我々人間は偏見や固定観念からは逃れきることができない。しかし、偏見や固定観念を除こうとする努力は常にすべきだし、それらがより除かれている情報を引用しようと常に心掛けるべきだ。

 上記の引用では、独立性や公平性や正確さを保証することができる情報源の例として、「(正確さに重きを置く)大学で研究する科学者や統計のデータベース」や「(特定の製造企業や販売企業などに属していない)独立した消費者検査機関」、「国勢調査局」、「大学の研究所」、「国境なき医師団」などが挙げられている。これらの情報源が「建設的な議論を提示しているもの、信頼できると認められているもの、反対意見やその論拠について徹底的に検討しているもの」であるのだろう。議論においてはこれらの情報源をしっかりと引用したい。

 しかし、「勿論、独立性や公平性は必ずしも容易に判断できない。一皮むけば実態は利益集団などということがないように、情報源がしっかり独立していることをきちんと確かめなければならない」。たしかに、組織の体面と実態とが乖離していることはよくある。どの組織も一皮むけば何らかの利害関係者であるというのは確かなように思える。

 この世の誰一人として利害関係から逃れ得ない。誰もが何らかの利害関係者である。団体も同じだ。利害関係を欠いては社会は微動だにしないし、人類史も形成されなかっただろう。

 しかし、独立性や公平性を追い求める姿勢は崩してはならない。実際に自分の目できちんと情報源を確認し、自分の手と頭で「財源や独自の出版物をチェックし、様々な記録から活動の主旨を調べ」ることは大変だが、とても有益な作業である。「主張が極端だったりあまりにも単純だったり、対抗する側への攻撃や要求に終始しているようならば」、その情報源は信用できない。そのように判断して良いだろう。

 最後に、「都合の良い部分だけを抜き取って証拠とする」というありがちな間違いについて注意を喚起しておく。たとえ適切な情報源からの引用であっても、持論にとって都合の良い部分だけを故意に抜粋していては、それは適切な引用であるとは言えなくなる。

 全ての情報には、その情報源が “主に” 伝えたい内容が含まれている。とりあえず、その内容を「本筋」と呼称しておこう。情報の本筋を聞き手に見誤らせるような「部分的抜粋」はしてはならない。これは報道の「切り取り」と同じ間違いである。

 この間違いを防止したり訂正したりするためにも聞き手は「正確にきちんと引用されていることを確かめ、他に有用な関連情報があるかどうかもチェックしよう」。適切な引用には適切な情報源が必要不可欠であるが、適切に引用することも必要不可欠なのだ。

 今回はここまでだ。今回覚えておいてほしいのは「特定の論争に強い利害関係を持っている人々は、その論争に関して言えば、情報源として適していない場合が多く、そのような情報源は往々にして偏っている。偏った情報源を単独で、または偏った情報ばかりで根拠を構成してはならない。独立性や公平性を保証するとされる適切な情報源を、情報の本筋を見誤らせることなく適切に引用するべきだ。また、適切な情報源であるとされていても、その情報源を実際に自分で調査するべきだ」ということである。 

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