オーストリアのシャレンベルク首相が全国民に外出制限を課し、ワクチン接種を義務化することを発表したというニュースに対して以下のようなコメントが投稿されていた。
「全国民に外出制限を課し、ワクチン接種を義務化する」という方針を打ち出したオーストリア政府のことを「発狂した政府」呼ばわりしている。言わずもがな、これは ”レッテル貼り” である。
自分の意見とは異なる意見を持つ主体に対して、「発狂」などのマイナスなイメージを喚起するような表現を用いてその主体を貶めようとする “レッテル貼り” は詭弁・誤謬である。つまり、反則である。やってはならない反則である。
また、この「強行」という表現が用いられているが、このニュースの中では「義務化」という表現が用いられていた。
「強行」とは「無理を押しきって強引に行うこと」(「強行」の意味や使い方 Weblio辞書)である。
一方、「義務」とは「人がそれぞれの立場に応じて当然しなければならない務め」「倫理学で、人が道徳上、普遍的・必然的になすべきこと」「法律によって人に課せられる拘束。法的義務はつねに権利に対応して存在する」(義務とは何? Weblio辞書)である。
というように、「強行」と「義務化」とでは意味もニュアンスも異なるので、「義務化」を「強行」に置き換えるのは不適切な歪曲・脚色であるだろう。
また、このコメントは以下のように続く。
「国が滅んでもいいらしい」とは言うものの、オーストリア政府の今回の決定がどのように「国が滅ぶ」ことにつながるのかということについての説明が欠けている。
「今回の決定によりオーストリアが滅ぶ」という未来予想には、当然、根拠や自分なりの考えがあるはずだ(公に発表するほど自信のある未来予想なのだから尚更)。ならば、その根拠や考えを明らかにしよう。そうすることで説得力が増し、自分の主張を他者に伝えやすくなるだろう。
「無残な荒れ果てよう」という表現は ”レッテル貼り” である。自分の意見とは異なる意見を採用した主体を、マイナスなイメージを喚起する「無残な荒れ果てよう」という表現で形容することによって、その主体を貶めようとしている。
また、この表現は感情的な表現でもある。言わずもがな、主張を他者に伝えようとするとき、感情的な表現によって他者を誘導しようとしてはならない。
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