今回のテーマは「持論の専門家になろう」である。いつも読んでくださる読者のみなさまは、もう勝手が分かってきたはずだ。では、行こう。
ルール1:前提と結論を決める
論証は根拠を整理して、明確かつ公正なかたちに組織化することから始まる。
論証を組み立てる第一歩は、「何を証明しようとしているのか」と自分に問いかけることだ。すなわち、「結論は何なのか」ということだ。結論に辿り着くには、根拠を提示しなければならない。根拠となる主張は前提と呼ばれる。
とある結論をあなたは信じている。けれど、それはなぜだ?根拠は何なのだ?まずは根拠をいくつか考えて、それらが本当に十分な根拠であるかどうか確かめる必要があるだろう。相手を納得させて、自分の結論に沿うように相手の考えを変えさせるためには、十分な根拠を明確に述べなければならない。
他人を納得させるには、重要な前提をさらに加えるのがいい。
「前提と結論を決める」と言うとき、「決める」という言葉は関連し合う二つの意味を持つ。一つは「区別する」こと。根拠と結論は異なる。両者をしっかり区別しよう。
前提と結論を区別したなら、その両方の主張に責任を持たなければならない。これが「決める」のもう一つの意味だ。決めたなら、次へ進もう。でなければ、主張を変えよう!いずれにしろ、他人に主張を明確に伝えるには、まずは自分自身にとって明確なものにしておこう。
(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p21~p24 )
伝え忘れていたが、『論証のルールブック(第五版)』はルール1~50+αから成っている。そのルールを紹介するという形をとりながら記事を書いていくつもりである。この本におんぶに抱っこの状態であることは重々承知している。加えて、一つの本だけを当てにし続けることの妥当性には疑問符が付されるところではあるので、他の書籍やサイトからも積極的に引用していこうと思う。
しかし、明快で便利なこの本の内容をできる限りギロンバに活かしたいのだ。当分は議論や論証の“ルール”について述べる予定であるので、その間は『論証のルールブック(第五版)』に存分に力を発揮してもらうことになる。この点は留意されたい。
話が逸れてしまった。申し訳ない。さて、話を元に戻そう。とはいえ、重要なことについては引用内で語られ尽くされている感がある。しかしそれだと私の仕事が無くなってしまうので、引用内の文言をいくらか抜粋して言葉を加えていく。
まずは「結論は何なのか」という部分だ。あなたの言わんとしている結論は一体何なのか?このように問われたとき、答えに詰まってしまう人は実は多いのではないだろうか。学校や職場、家庭、友人と遊んでいるとき、どのようなシチュエーションでもよいが、あなた自身が他者を説得しようとしているときのことをよくよく思い出してみてほしい。あなたの中に明確な結論はあったか?あなたは明確な結論というゴールに向かって進んでいたか?
もし、あなたが何らかの主張をしているとき、主張の結論やその根拠となる前提についていまいち理解していないとすれば、他者はあなたの主張について理解できるはずがない。自分が理解していないことを他者に説明しても、他者はそれを理解できない。このように言われてみれば当たり前な話のように思われるが、その当たり前を実行できていない人は意外にも多い。
議論をする際には、持論をしっかりと理解することが肝要だ。持論の結論、結論を支える根拠・前提、根拠・前提から結論へと至るために必要となる推論について深く理解しなければならない。あなたはあなたの持論についての専門家・プロフェッショナルになる必要があるのだ。まずはそこから始めよう。議論をする上での大前提は、議論参加者が各々の持論についてよく理解しているということだ。この大前提がクリアされてはじめて秩序ある議論は可能になる。
持論の結論についてよく理解したら次はその結論を支える根拠と前提を定めよう。結論の信憑性・妥当性・説得性は、その結論を支える根拠と前提の信憑性・妥当性・説得性の程度に左右される。加えて、根拠と前提は妥当な推論によって結論へと連結されなければならない。
ここまで読んでくれた読者なら、「根拠と結論は異なる」ということの意味が分かるだろう。根拠はあくまで、あなたが信じている結論の理由となるものである。根拠だけで何かを論じたり意見を表明したりすることなどできない。そもそも語義的に「根拠」は単独では存在し得ない。結論があってはじめて根拠は存在可能なのであり、結論なき根拠は「根拠」足り得ない。根拠だけをもって何かを論ずるなど語義的に不可能なのだ。議論においては、提示した根拠から適切な推論を経て結論へと至るという論証の作業をもって持論を主張するのだ。
最後に、「前提と結論を区別したなら、その両方の主張に責任を持たなければならない」という部分に触れたい。これはとても大切な態度・姿勢であるが、その一方で一応言っておきたいことがある。賢明な読者のみなさまなら分かるとは思うが、「議論のときだけ責任を持てばいい」「前提と結論だけに責任を持てばいい」という話ではない。議論をするときだけに限らず、全ての場面で自分の言動の全てに責任を持とう。
今回はここまでだ。今回覚えておいてほしいことは「議論する際には、あなたはあなたの持論について深く理解する専門家・プロフェッショナルになろう。そして、前提と結論とをしっかり区別してそれぞれに対して責任を持とう」ということだ。
※今回の内容を読んでくれた読者のみなさまの中には、「根拠」と「前提」とは何が違うの?という疑問を持った方がいるかもしれない。しかし今回は紙幅の制限によりその説明をすることは叶わない。ということで次回は「根拠と前提の違い」について少しばかり述べたいと思う。
皆さんがインターネットで怪しいと思った情報があれば、ぜひこちらへ投稿お願いします。
また、参考文献および関連本はこちら