前提を支える根拠、その根拠を支える前提、その前提を支える根拠…【根拠と前提の違い。根拠と前提のマトリョーシカ。】

議論
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 前回の引用には「結論に辿り着くには、根拠を提示しなければならない。根拠となる主張は前提と呼ばれる」とある。ここでは、語義的に「前提」は「根拠」の一部であり「根拠」に含まれるということが示唆されている。しかしこの示唆だけでは両者の違いがよく分からない。では早速、両者を辞書で引いてみよう。

 「根拠」とは「物事が存在するための理由となるもの。存在の理由」(根拠とは – Weblio辞書)だそうだ。一方、「前提」とは「ある物事が成り立つための、前置きとなる条件」「論理学で、推論において結論が導き出される根拠となる判断」(前提とは – Weblio辞書)だそうだ。これらを鑑みると、物事が成り立つための「理由」が「根拠」であり、物事が成り立つための「条件」が「前提」であると言えそうだ。ここで、以下の単純な例を見ていただきたい。

 ・もしaならばbである。

 ・aである。

 ・それゆえ、bである。

 これは「前件肯定」と呼ばれる演繹的論証である。この場合、「もしaならばbである」は前提1となり、「aである」は前提2となる。前提1と前提2とを合わせたものが根拠となる。「それゆえ」の部分は推論であると思ってほしい。「bである」は結論である。

 なお、これは単純な図式である。実際はこれほど単純ではない。というのも、この図式は入れ子構造(マトリョーシカのような構造)になっているのだ。つまり、各前提も小さな結論であり、その前提を支える根拠、その根拠を支える前提があるということだ。一体何を言っているのかというと、前提1ひとつとってみても、「もしaならばbである」と考えられる根拠を提示しなければならないのだ。そして、その根拠を構成する前提を提示しなければならないのだ。

 しかし、入れ子構造なのでキリがない。とある結論の根拠となる前提の根拠、その根拠を構成する前提の根拠、その根拠を構成する前提の根拠…。これではいつまで経っても議論を始められない。では、どうすればいいか?そんなときは、詳しく述べるものと詳しく述べないものとを選別するのだ。

 議題や議論の過程から鑑みて、議論の主旨や論点となりそうな(なっている)事柄に属すると判断できる内容については詳しく述べる必要がある。つまり、そのような内容を含む前提であれば、議論や発言の最初にその根拠を示しておくべきだ。また、そのような内容を含む用語があれば、議論や発言の最初にその定義を示しておくべきだ。

 しかし、例えば、「食料自給率」が趣旨であり論点である議論では、とある野菜の栄養価については必ずしも詳述しなくてもよいかもしれないし、野菜の定義問題に踏み込まなくてもいいかもしれない。

 ただし、このことに関しては一概に基準を示すことができない。なぜなら議論と一口に言ってもその性格や内容、展開は様々であり、それらを統べる絶対的な基準は存在しないからである。議論のルールは存在するが、議論の内容に関する統一的基準は存在しない。どこまで自分の論証を詳細にするかは、その時あなたが参加している議論の性格や内容、展開などに左右される。

 この点については、感覚的なものなので、議論経験を重ねることによって感覚を磨いていく他ない。議論初心者にできることは、自身の発言の不明な点について他者から説明を請われたら、それに真摯に応えることだ。このような真摯な応答の積み重ねがいずれ鋭敏な議論感覚となるに違いない。私もあなたも、我々はみんな議論初心者だ。できることからこつこつやっていくしかない。こつこつ積み重ねていくことがいずれ大きな果実を実らせる。そう信じている。

 根拠と前提の違いについての話が、結局、論証作成における入れ子構造や前提について詳述する必要はどのような場合に生じるかということの話になった。話題が逸れたので分かりにくかったかもしれないが、根拠と前提について扱うからには、この文脈の中で論証における入れ子構造の話題に触れておきたかった。

 今回はここまでだ。今回覚えておいてほしいことは「結論を支える根拠は、いくつかの前提から構成されているが、前提と根拠の関係には『結論の根拠、その根拠を構成する前提の根拠、その根拠を構成する前提の根拠…』という入れ子構造がある。それを解決するためには、議論の主旨や論点に関係する内容を含む前提に限定して詳述すべきである」ということだ。

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