蝶の羽ばたきが8000km先で竜巻を起こす世界を説明できるか?【相関関係を考える上での注意点】

議論
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 今回のテーマは「相関関係を考える上での注意点」である。引用から話を始めよう。

ルール19:相関関係には別の理由があるかもしれない

 相関関係から原因を導く論証は、しばしば説得力がある。だが、問題なのは、相関関係には複数の説明が可能かもしれないという点だ。相関関係それ自体からは、根本的な原因を最適なかたちで導けるかどうかは明確ではないのだ。

 第一に、単なる偶然の相関関係が存在する。

 第二に、実際につながりがあるとしても、相関関係はそのつながりの方向を決定しない。E1がE2と関連しているとき、E1がE2の原因かもしれないが、逆にE2がE1の原因かもしれない。

 第三に、相関する二つの要素に共通する別の原因があるとも考えられる。E1とE2が相関しているとしても、E1がE2の原因でも、E2がE1の原因でもなく、全く別のE3が両者の原因となっているかもしれないのだ。

 最後に、原因が複数あったり、複雑だったりする可能性もあり、それらが同時に多くの方向へ動くとも考えられる。別の根本的な原因もあるのだろう。

(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p83~p85)

 相関関係は一つであるとは限らない。前回の記事『因果関係を導出するために相関関係を探る』でも述べたが、因果関係を導き出そうとするのなら、まず、考えられる相関関係の数々をピックアップしなければならない。そして、それらの相関関係を一つずつ検討することによって、因果関係であるとみなせそうなものを選りすぐるのだ。

 「相関関係それ自体からは、根本的な原因を最適なかたちで導けるかどうかは明確ではないのだ」。因果関係が答えや結論であるとするならば、相関関係は答えや結論となる可能性を秘めているもの、すなわち仮説である。

 引用内には、相関関係について考える際の注意点が述べられている。読者のみなさまには、「第一」から「最後」までの全ての注意点を押さえていただきたい。

 「第一に、単なる偶然の相関関係が存在する」。これは忘れがちなことである。全ての物事が因果や相関といった鎖で連結しているわけではないのだ。例えば、「あなたがくしゃみをした直後に、近くに雷が落ちた」。この場合、「くしゃみ」と「雷」に相関関係、ひいては因果関係はあるだろうか?おそらく相関関係も因果関係もないだろう。もし(いかなる天候の場合でも)80%の確率でくしゃみの直後に雷が落ちるのならば、「くしゃみ」と「雷」の間の相関関係が認められそうだ(あなたの何らかの特殊能力?)。しかし、この場合においても別の相関関係が考えられる。あなたは、落雷直前にくしゃみをしやすい(特異)体質なのかもしれない。しかし、両者の相関関係とも現実味はない。現実にあるとしても、可能性はかなり低そうだ。やはり偶然の事象と考えた方が良いだろう。

 ちなみに、上記の第一の注意点に対して、偶然のように見えても実は二つの物事は関連しているという「バタフライ効果」の考え方を用いて反論することは不可能であるように思える。なぜなら、バタフライ効果は観測・認知不可能だからである。それゆえに、バタフライ効果なるものの存在の有無すら分からないからである。バタフライ効果は一つの思考実験である。辞書の意味を以下に引用してみる。

 「バタフライ効果」とは、

 「ある系の変化が初期条件に極めて鋭敏に依存する場合に見られる、予測不可能な挙動のたとえ。もとは、米国の気象学者ローレンツが1972年に行った『ブラジルでの蝶のはばたきがテキサスに竜巻を引き起こすか』という講演の演題に由来する。大気の対流が決定論的な微分方程式に従うにもかかわらず、数値計算の精度をいくら向上させても事実上正確に予測できないカオスの性質をもつことを象徴的に表現したものとして知られる」。

(バタフライ効果の意味や使い方 Weblio辞書)。

 色々と難しいことが述べられているように感じるかもしれないが、ここで大切なのは「予測不可能な挙動」「事実上正確に予測できないカオスの性質」といった点である。我々にはカオスを観測・認識し、記述することなどできない。そのようなカオスの事象は証拠にはなり得ない。(不可能だが)もし仮にカオスを完全に記述できるのなら証拠になるのかもしれないが、それでも過剰に紙幅を費やしてしまうため、証拠として用いるには、というか議論にはやはり不適である。

 「第二に、実際につながりがあるとしても、相関関係はそのつながりの方向を決定しない。E1(出来事や状態)がE2(出来事や状態)と関連しているとき、E1がE2の原因かもしれないが、逆にE2がE1の原因かもしれない」。先程の「あなたがくしゃみした直後に、近くに雷が落ちてきた」という事象の例において述べたように、(かなりの確率でこの事象は無相関であるが)仮に相関関係があるとしても、相関関係の時点・段階では、くしゃみが雷を誘発しているのか、雷がくしゃみを誘発しているのか、すなわち、どちらが原因でどちらが結果なのかは分からないのである。「相関関係はそのつながりの方向を決定しない」というのは、相関関係が「くしゃみ→雷」なのか「くしゃみ←雷」なのかを表すことができないということである。

 「第三に、相関する二つの要素に共通する別の原因があるとも考えられる。E1とE2が相関しているとしても、E1がE2の原因でも、E2がE1の原因でもなく、全く別のE3が両者の原因となっているかもしれないのだ」。前回の記事『因果関係を導出するために相関関係を探る』において「結婚している人は独身者よりも幸福である」という事象を例として挙げたが、その事象の原因と結果に関して考えられる可能性、すなわち相関関係の三つ目の紹介を留保しておいた。その三つ目が、ここで言う「E3」である。

 「結婚している人は独身者よりも幸福である」という事象を主張するとき、「結婚及び結婚生活(E1)という原因が幸福(E2)という結果をもたらしている可能性」と「幸福(E2)という原因が結婚(E1)という結果をもたらしている可能性」を真っ先に思いつくだろう。しかし、もう一つ「全く別の原因(E3)が結婚(E1)と幸福(E2)という結果をもたらしている可能性」というものもあるのだ。E3になり得るものがどのようなものなのかは(独身の私には)正直分からない。お金というのはE3として妥当だろうか?お金はE3として妥当か否かについてや結婚と幸福の関係について考えるのは、みなさんと議論する機会に譲ろう。楽しみにしています。

 「最後に、原因が複数あったり、複雑だったりする可能性もあり、それらが同時に多くの方向へ動くとも考えられる。別の根本的な原因もあるのだろう」。過去の記事においても何度も述べているが、この世界は極めて複雑である。そもそも原因や結果という概念・視点は、我々人間が「複雑な世界を解釈しやすいように単純化する」ために編み出した手法である。しかしこの世界は人間が作り出したものではなく、また人間のためにあるのでもない。この世界は人間仕様にはなっていないのだ。それゆえに、この世界の全てが、原因と結果というパズルに一つ一つのピースとしてはまるわけではない。我々の認識や言語ではこの世界の全てを語ることなどできないのだ。

 先程、「バタフライ効果」のくだりでカオスについて少しばかり述べたが、この世界には理解不可能な語り得ないカオスの領域が多いのだろう。何が原因で何が結果なのか、何個の原因と結果があるのかが判然としない事象ばかり存在することは当たり前なのだ。しかし、それについて考えることを諦めてはならない。みんなで辛抱強く考え続けよう。

 今回はここまでだ。今回覚えておいてほしいのは「特定の事象に関する相関関係を考える上で注意すべき点として、偶然との区別、二つの物事の間のつながりの方向(どちらが原因でどちらが結果か)、二つの物事の原因となる全く別の物事の存在、当該事象がカオス状態にある可能性が挙げられる」ということである。

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