ヤマアラシの辛い板挟み/あえて誤りを導き出すことで論証する。【両刀論法(ジレンマ)/背理法】

議論
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 今回のテーマは「両刀論法(ジレンマ)/背理法」である。まず、「両刀論法(ジレンマ)」について説明しよう。以下は引用である。

ルール26:両刀論法(ジレンマ)

 第五の演繹的論証は両刀論法だ。

 pあるいはqである。

 もしpならばrである。

 もしqならばsである。

 それゆえ、rあるいはsである。

 修辞学的に言えば、「ジレンマ」とは、選択肢が二つあるがどちらを選んでも好ましくない結果をもたらす状態である。たとえば、悲観主義の哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーは「ヤマアラシのジレンマ」と呼ばれる寓話を書いた。それは次のような内容だ。

 ヤマアラシは体がとげに覆われているので、身を寄せ合いすぎると相手のとげが刺さって痛い。だが、あまり離れてしまうと寂しくなる。人間も同じことだ。互いにあまり近すぎると衝突や軋轢が生まれて苦しくなるが、逆に離れすぎると孤独になる。

 これは次のように書き直せる。

 他人と近い関係になるか、距離を置くか。

 近い関係になれば、衝突して苦痛に悩まされる。

 距離を置けば、寂しくなる。

 それゆえ、衝突して苦痛に悩まされるか、寂しくなるかのどちらかだ。

 両刀論法をさらに進めれば、「いずれにしても、不幸な状態になる」というような結論に結びつく。

(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p103~p105)

 「両刀論法(ジレンマ)」とは、「選択肢が二つあるがどちらを選んでも好ましくない結果をもたらす状態である」。一応辞書的な意味も見ておこう。「ジレンマ」とは、「二つの相反する事柄の板挟みになること」「論理学で、二つの仮言的判断を大前提とし、その判断を小前提で選言的に肯定または否定して結論を導き出す三段論法。例えば、『城にとどまれば焼き殺される。城から出れば切り殺される』『城にとどまるか、城から出るかよりほかに道はない』『故に、いずれにしても殺される』の類」(ジレンマとは – Weblio辞書)である。

 ジレンマに陥ることとは、二つの相反する事象の板挟みになり、そのいずれを選択しても好ましくない結果しか得られないということである。より簡潔に言えば、「どっちにしろダメ」という状態・状況に置かれることである。このことは上記の引用内の「ヤマアラシのジレンマ」を見てもらえれば分かりやすい。

 ちなみに、ヤマアラシは針をたたむことができるので、実際には、互いに身を寄せ合っても互いを傷つけることはないらしい。どうかご安心を。

 次に「背理法」について説明する。以下は引用である。

ルール27:背理法

 背理法は古くからある重要な演繹的論証の一つで、帰謬法とも呼ばれる。ただし厳密に言えば、後件否定の一形態と言ってよい。これは、ある結論を確立するためにそれとは逆のことを仮定し、それが矛盾を生じさせることを示すことで、当初の結論を認めざるを得なくする方法だ。「間接的な証明」とも呼ばれる。

 「pである」と証明するには、

 「pではない」と逆に仮定する。

 その仮定から、必然的に得られる結論はqである。

 qが誤りである(矛盾がある、ばかげている、不条理である)ことを示す。

 結論として、pが真であると認めざるを得ない。

(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p106~p108)

 「背理法」は我々が頻繁に用いる思考方法である。以下で二つほど背理法の例を簡単に挙げてみよう。

 「夏は暑いよ。だって、夏が暑くないとしたら、なぜ夏の間に多くの人は半袖を着ているの?暑くないのなら、半袖じゃなくて長袖を着てもいいじゃん」。これを上記の引用内の形に即して説明してみる。「夏は暑い」と証明するために、「夏は暑くない」と逆に仮定する。しかし夏が暑くないのだとしたら、夏の間に多くの人が半袖を着ていることの理由をうまく説明できない。半袖は、長袖よりも体表を多く露出させることができ放熱性の面で優れているので、暑くない時期よりも暑い時期に選好されると考えられる。それゆえ、「夏は暑い」ということが真であると結論できる。

 「昨晩、よく寝た。もし全然寝ることができなかったなら、今頃、私は具合悪くなっているはずだ」。これを上と同じように説明してみると次のようになるだろう。「昨晩、私はよく寝た」と証明するために、「昨晩、私は全然寝ることができなかった」と逆に仮定する。しかし昨晩に全然寝ることができていなかったとしたら、今の私はこれほどまでに元気ではないはずだ。今、私はすこぶる調子が良い。それゆえ、「昨晩、私はよく寝た」ということが真であると結論できる。

 勿論、これらの例は簡単な日常会話(少々皮肉交じりな印象は与えるが)のようなものであり、実際にはあまり証明する必要のない話である。正直、厳密性があると自信を持って言えるものでもないのかもしれない(特に、後者の例は主観的なものなので)。ただ、「背理法」の基本的な形は理解して頂けたのではないだろうか。

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