今回のテーマは「中立的で具体的で明瞭で簡潔な論証文を書こう」である。引用から話を始めよう。
論証文を書く
論点を探り、基本的な論証のアウトラインも考え、前提も決めたとしよう。いよいよ書く準備が整った。
きちんとした論文(エッセイ)として書くのは最終段階だということを忘れずに!物事には順序というものがあるのだ。具体的かつ簡潔に、感情的な言葉は避ける。
(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p131~p132)
自分の論証を文章として表すのは、自分の論証を完成させてからのことだ。論証を完成させないまま、いきなり文章作成に取り掛からないようにしよう。そのように思い付きで見切り発車しては、途中で何度も文章を書き直す羽目になるし、そもそも見切り発車的な文章は非常に読みにくく理解しにくいものだ。「きちんとした論文(エッセイ)を書くのは最終段階だ」ということを頭に入れておこう。
また、過去の記事でも何度も述べているが、論証を作成する際には、ひいては議論という場に参加する際には、「偏見・固定観念に基づいた言葉や感情的な意味合いの強い言葉を用いずに、なるべく中立的な言葉を用いること」と「具体的で明瞭で簡潔な文章を書くこと」を心掛けなければならない。
これから数回に渡って、論証文を書く際に守るべき具体的なルールについて説明していく。では、早速始めよう。以下は引用である。
ルール34:回り道はしない
さっさと本題に入ろう。無駄な前置きや美辞麗句はいらない。
(悪い例)何世紀にもわたって、哲学者たちは幸福を実現する方法について議論してきたが……
これは言わずもがなだ。あなたの論点を書こう。
(良い例)この論文では、人生で一番大切なのは自由だということを明らかにしたい。
(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p132~p133)
議論において論証を提示する場合に書くべき文章は、「具体的で明瞭で簡潔な文章」である。議論という場においては、美文や麗筆よりも「分かりやすい文章」が求められる。勿論、素晴らしい文や見栄えの良い文章でありつつ、分かりやすい文章でもあるのがベストだが、最優先すべきは具体的で明瞭で簡潔な文章、すなわち「分かりやすい文章」を書くことである。論証を書く際には、他者に行間を読ませたり言葉の裏の意味を推測させたりするような文章ではなく、自分の考えを他者に余すところなく正確に伝えられるような文章を書くべきだ。美辞麗句は要らないし、冗長な文も要らない。それが論証であり議論である。
また、美辞麗句が並ぶ論証文は、論証の内容それ自体の評価よりも高い(分不相応の)評価を受けることが多くなってしまう。当たり前だが、どうしても人間は(同じ内容でも)綺麗な文章や立派な文章の方を好むので、美辞麗句に対して加点評価してしまう。つまり、美辞麗句は論証の評価を歪ませてしまうのだ。議論という場においては論証の内容 ”だけ” が評価の対象とならねばならないし、それゆえ、論証の内容以外の加点ポイントなど存在しないのだ。
議論の大前提は、自分の考えを他者に正確に伝えることと、自分が他者の考えを正確に理解できることである。議論参加者はお互いの考えを余すところなく正確に伝え合い、お互いの考えを交流させなければならない。それができなければ、議論は成り立たない。「(相手に)理解してもらえるだろう」と相手の理解力に期待するのではなく、「相手に自分の考えを伝達するんだ」という意図・態度をもって、相手に理解してもらえるような文章を書くのだ。そのようにして論証・議論に臨むべきである。
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