論ずるときは単刀直入に簡潔に。他者に触れるときは謙虚に優しく。【簡にして要を得る】

議論
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 今回のテーマは「簡にして要を得る」である。では、引用から話を進めていこう。

ルール4:具体的かつ簡潔に

 抽象的、曖昧、そして大雑把な言葉は避けよう。「炎天下を何時間も歩いた」と書くのは、「長く続く困難な努力の道のりだった」と書くよりも、はるかに分かりやすい。また、簡潔であることも大切だ。中身の無い飾った言葉を使えば、誰もが混乱してしまうだけだ。

 最も重要なのは、言葉が簡にして要を得ている点である。

(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p29~p30 )

 抽象的、曖昧、大雑把な言葉は議論には不要である。議論に必要なのは、具体的、明瞭、詳細な言葉・表現である。それらの言葉を用いて、几帳面に簡潔な文章を作っていかなければならない。

 「中身の無い飾った言葉」という表現は少し厳しいものかもしれないが、このような言葉・表現はやはり議論には不向きなものである。秩序ある議論の場で「中身の無い飾った言葉」ばかりを用いていると、「何か都合の悪いことを遠回しに言おうとしているのかな?」と聞き手に思わせてしまうだろう。議論においては婉曲的な表現はあまり好まれない。

 ただ、だからといって、何でもかんでも直接的に単刀直入にズバッと言えばいいということでもない。勿論、他者や他者の意見を傷つけないようにするという気遣いや配慮のために婉曲的な言葉・表現を用いることは推奨される。

 例えば、「あなたの意見は間違っています」と言うのではなく「あなたの意見とは異なりますが、私は~という意見を持っています」と言った方が断然良い。他者を気遣ったり配慮したりすることは、他者が傷つくこととあなたが他者を傷つけることを防止し、さらに、あなた自身の内に謙虚さや思慮深さを醸成する。謙虚さや思慮深さは、持論が正しいという思い込みを防止し、そのように早とちりして妄信する早計さ・短絡さを防止するだろう。このような意味でも、他者や他者の意見を傷つけないように気遣い配慮することは大切なのである。そのために用いる言葉は婉曲的なものであってもよい。

 話が逸れてしまったが、あくまで私が今回の記事で言わんとしているのは、とりわけ持論を論証によって提示する際には具体的で明瞭で詳細な言葉・表現を用いるべきだということである。「簡にして要を得る」は、議論をする上での最重要の心掛けの一つである。この言葉は常に頭に入れておいていただきたい。

 今回はここまでだ。今回覚えておいてほしいのは「議論においては、とりわけ持論を論証によって提示する際には、具体的で明瞭で詳細な言葉・表現を用いて几帳面に簡潔な文章を作っていかなければならない。ただし、他者と他者の意見を傷つけないように気遣い配慮するためなら婉曲的な表現を用いてもよい」ということだ。

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