今回のテーマは「他者からフィードバックを得よう」である。引用から話を始めよう。
ルール38:フィードバックを求め、それを利用しよう
おそらく、あなたは自分の主張をよく分かっているだろう。全てが明確だと自信を持っているのだろう。けれど、他の全ての人々にはちんぷんかんぷんかもしれない!自分ではきちんと論旨が通っていると思えても、読み手にとっては、まるで脈絡がないと感じられることもあるのだ。
書き手は、どんな程度の書き手であれ、フィードバックを必要とする。他人の目というフィルターを通してこそ、不明瞭さや早とちりや信じられないような間違いがはっきり見えてくる。フィードバックはあなたの論理も向上させる。反対意見は思ってもいなかった指摘をくれる。確実だと思っていた前提なのに実は裏付けが必要だと分かったり、確実な前提が思わぬところに見つかったりすることもある。新しい事実や例を発見する場合もあるかもしれない。フィードバックは逆方向から「真実に目を向ける」ことだ。フィードバックを歓迎しよう。
読み手には批判的な目で読んでもらい、あなたも相手の文章を批判的な目で読むのだ。もし必要ならば、批判や指摘の分量について目標を設定すれば、読み手はあなたの感情を傷つけることを気にしないで済む。読み手があなたの下書きをじっくり読みもせずに、すばらしいと褒めて終わりにしてしまえば、それは礼儀に適う態度かもしれないが、実のところあなたの求めに応じていないことになる。教師や最終読者はそんなフリーパスを与えてくれない。
フィードバックは重要な作業として認められない場合が多く、過小評価される傾向にある。論文や本や雑誌などの完成した文章を読むとき、書くことは本質的にはプロセスであるという事実は見過ごされやすい。本当のところは、どんな文章であれ、ゼロの状態から書き始めて数百もの選択を経て、何度も書き直すことによってまとめあげられるのだ。鍵となるのは、発展、批判、明確化、そして修正だ。フィードバックはこれらの推進力となる。
(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p141~p143)
自分で素晴らしい出来だと思えるレポートや論文を完成させたが、いざ提出してみると、先生や教授から酷評された。このような経験はないだろうか?私はこのような経験を何度もして、その度に、自分の不甲斐なさを痛感したものだ。レポートや論文に限らず、文章を書いているとき、自分の文章に自信を持っている書き手は多いのではないかと思う。自信を持つべきではないと言うつもりは別にないのだが、その自信は他者の評価によって打ち砕かれることが多い。つまり、何を言いたいのかというと、素晴らしい文章を書いていると自分で思っていても、他者にとっては全然意味が分からないということは頻繁にあるということだ。
(日記などは例外だが)一般的に文章は他者に読んでもらうために書くものだ。他者が理解できてはじめて文章は意味・意義を成すのだ。ということは、当たり前だが、文章は他者が理解できるように書かなければならない。では、他者が理解できるような文章を書けているか否かを判断するにはどうしたらよいのか?至ってシンプルだ。自分の文章を他者に読んでもらえばいいのである。そして、文章についての「感想」を教えてもらうのである。他者からの感想を受け取ったら、その感想をもとに文章を修正したり練り直したりするのだ。そうすることで、文章はクオリティを高めるだろう。加えて、自分の文章がより多くの他者の目に触れ、多種多様ななフィードバックを得ることができれば、文章は飛躍的にクオリティを高めるだろう。
ここで言う「感想」のことを、引用内では「フィードバック」と呼称している。「フィードバック」とは、「ある機構で、結果を原因側に戻すことで原因側を調節すること」「物事への反応や結果をみて、改良・調整を加えること」「顧客や視聴者など製品・サービスの利用者からの反応・意見・評価。また、そうした情報を関係者に伝えること」(フィードバックとは何? Weblio辞書)である。議論や論証という文脈に即すと、「フィードバック」とは、「他者の反応・意見・評価」であると簡単に言うことができるだろう。
自分の成果物についてのフィードバックを得るには、その成果物を他者に見てもらうしかない。フィードバックを得ること、すなわち他者の目というフィルターを介すことによって、自分の文章に潜んでいた論証の不足点や「不明瞭さや早とちりや信じられないような間違い」があぶり出されることはしばしばである。「(より)確実な前提」や「新しい事実や例」が見つかることもしばしばである。このように、他者からのフィードバックを得ることで論証をより堅固で高質なものにすることができるのである。
他者にフィードバックを求める際には、他者には批判的な目・疑いの目・厳しい目で文章を読んでもらわなければない。良い意味で「粗探し」してもらうのだ。そうでなければフィードバックは意味を為さない。他者の批判的な目・疑いの目・厳しい目という審査を経た文章は、多くの改善点があぶり出されている文章であろう。そのような文章は非常に修正し甲斐のある文章だ。あぶり出された改善点を全て改善し終えたときに目の前にあるのは、見違えるほどクオリティが高まった文章であるはずだ。フィードバックは文章、とりわけ論証文の「発展、批判、明確化、修正」を効果的に後押ししてくれる。
勿論、あなたが他者からフィードバックを求められた際にも、以上のように心掛けるべきである。できる限りの批判的な目・疑いの目・厳しい目をもって相手の文章を添削することに努めるのだ。
ちなみに、「どんな文章であれ、ゼロの状態から書き始めて数百もの選択を経て、何度も書き直すことによってまとめあげられるのだ」という言葉は是非覚えておいてほしい。文章を書く、とりわけ論証文を書くことは簡単な作業ではない。時間も手間もかかる作業だ。
しかし、文章は、他者に自分の考えや意図を伝える上で必須のコミュニケーション・ツールであり、それゆえに人間は、文章を書くという行為から逃れ得ないとさえ言えるだろう。上手に文章を書けなければ、自分の考えや意図が他者に伝わらずに誤解される。となれば、当然、文章は上手に書けた方が良い。とりわけ、上手に文章を書く能力は、議論に参加する上でより大事になる。難しさや面倒くささに屈することなく、文章を上手に使いこなせるようになれば、あなたは大きな強みを身に付けることになるだろう。
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