インターネットという未開の荒野では性悪説を。【常に複数の情報源を確認・比較・検討する】

議論
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 今回のテーマは「常に複数の情報源を確認・比較・検討する」である。引用から話を始めよう。

ルール17:インターネットを賢く利用しよう

 オンラインの世界では、根拠の乏しい悪意に満ちたサイトが、あたかも専門家のような体裁を取り繕っていることさえある。学術書の出版社やたいていの公共図書館は出版物や収蔵書籍の信頼性について少なくとも何らかのチェックをするが、インターネットは今のところはまだ未開の荒野であり、そうしたチェックはない。自分で取捨選択しなければならない。

 本質的に、インターネットはいかなる場合にも権威とは無縁だ。単に情報源を伝えるだけなのだ。インターネットを賢く利用する人は、それらの情報源を評価する術を知っている。例えば、情報源の明記。その情報はどこから得たものか?ウェブサイトの多くは情報源があやふやで、それは論証を築く上では赤信号となる。また、その情報源は的確か?信頼性があるか?そして、そのサイトは詭弁を弄したり、代表的でないデータを使ったり、的確でないあるいは偽物の「専門家」を使って自説を押し付け、何かを売りつけようとしたり何らかの問題についてのあなたの考えを操作しようとしたりしていないか?少なくとも、複数のサイトを調べてチェックする必要がある。

 賢いユーザーは標準的なウェブ検索以上に深く調べる。検索エンジンでは「全て」はサーチできない。実際には、特定のトピックに関する最も信頼できる詳細な情報は、標準的な検索エンジンでは入り込めない学術組織のデータベースなどにあることが多い。パスワードが必要になるかもしれない。教師や図書館員に尋ねてみよう。

 ウィキペディアを利用するのもいいだろう。ただし、注意深く!「ウィキペディアは誰もが編集に加われるサイトです」というのは事実であり、虚偽や不正確な情報が載せられてしばしば問題の種にもなっている。微妙なバイアスがかかった意見もある。それでも、非常にオープンな性質は利点でもある。内容は常に多くの人々の目にさらされ、ユーザーたちによって修正される。多くのユーザーが情報を加えたり向上させたりして貢献している。そのため、時間が経過するにつれて内容がより広範囲に、より中立的に変化していく場合も多い。議論があまりにも激しくなればウィキペディア側の編集者が介入するし、注目を浴びる一部の話題については一般ユーザーによる編集ができなくなる場合もあるが、結果として、ウィキペディアの記述が間違っている確率はブリタニカ百科事典よりも優秀だ。

 言うまでもなく、賢い百科事典ユーザーは単にウィキペディアを(あるいは他の百科事典を)引用するだけで自説を裏付けられるとは考えない。ウィキペディアは様々なトピックに関して情報を整理し、要約し、情報源を知らせることを意図している。賢い利用者はまた、どんな情報源に対しても注意深く、言葉の裏に隠されている意味や、不利な意見についての否定的な話などを見逃さない。

 引用されている情報源はどれも、それぞれに限界やバイアスを持つ人々によるものだ。間違いやバイアスを避けることと同じくらいに重要なのは内容を素早く修正する能力だが、この点についてウィキペディアに並ぶものはない。でたらめな書き込みや荒らしは通常ならたちまち修正されるし、更新は全て追跡できる仕組みになっている。また、意見交換の場も設けられている。これほど透明性や自己修正能力の高い情報源が他にあるだろうか?本当に賢い利用者は、ウィキペディアをより良くするために編集に参加しているかもしれない!

(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p76~p79)

 「オンラインの世界では、根拠の乏しい悪意に満ちたサイトが、あたかも専門家のような体裁を取り繕っていること」が多々ある。なぜなら、インターネット上でファクトチェックが機能していないからである。

 概して、情報は、本当と嘘と間違いとが複雑に絡み合って織り成すものである。特に、インターネットではその傾向が顕著である。まさしく「未開の荒野」という表現がぴったりである。我々はその未開の荒野において、何が本当で、何が嘘か、何が間違いかを独力で判断しなければならない。

 次に、読者のみなさまには以下の箇所をそっくりそのまま覚えてほしい。テレビやインターネットやSNSなどにおいて情報に接するときや持論の論証を行うとき、他者の論証を聞いて(読んで)いるときには、以下の文言を常に念頭に置いておく必要がある。では、再度引用しよう。

 「情報源の明記。その情報はどこから得たものか?ウェブサイトの多くは情報源があやふやで、それは論証を築く上では赤信号となる。また、その情報源は的確か?信頼性があるか?そして、そのサイトは詭弁を弄したり、代表的でないデータを使ったり、的確でないあるいは偽物の「専門家」を使って自説を押し付け、何かを売りつけようとしたり何らかの問題についてのあなたの考えを操作しようとしたりしていないか?少なくとも、複数のサイトを調べてチェックする必要がある」。

(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p76)

 また、「複数のサイトを調べてチェックする」ことは議論に参加する上で、ひいては現代世界を生きる上で必須の心掛けである。情報を得ようとするときや情報を評価しようとするときには、一つの情報源だけを参考にするのでは不十分である。参考にした一つの情報源は正しいかもしれないし間違っているかもしれない。というか、一つの情報源を見るだけでは、正しいのか間違っているのかを判断することができない。なぜなら比較対象がないのだから。複数の情報源を確認することは比較対象を確保するためにも必須である。

 加えて、複数の情報源に共通して記述されている情報は「一応の事実」としてみなすことができるので、そのような点でもやはり、複数の情報源にアクセスすることは必須である。

 しかし、「検索エンジンでは『全て』はサーチできない」。そして、「特定のトピックに関する最も信頼できる詳細な情報は、標準的な検索エンジンでは入り込めない学術組織のデータベースなどにあることが多い」。論文の検索サイトの例としては、CiNii(CiNii Articles – 日本の論文をさがす – 国立情報学研究所)やJ-STAGE(J-STAGE トップ (jst.go.jp))やGoogle Scholar(Google Scholar)が挙げられるだろう。私はこれらのサイトによくお世話になっている。これらのサイトからは、多くの(信頼性のある)情報にアクセスすることができる。

 Wikipediaもまた豊富な情報を掲載しているサイトである。このサイトは「様々なトピックに関して情報を整理し、要約し、情報源を知らせることを意図している」ものなので、“情報源として” Wikipediaを用いることはできない。また、「誰もが編集に加われるサイト」であるので、情報の信憑性や正確性や恣意性にはやはり疑問符が付される。

 とはいえ、引用内に詳述されている通り、「非常にオープンな性質」によって「時間が経過するにつれて内容がより広範囲に、より中立的に変化していく」ということや「でたらめな書き込みや荒らしは通常ならたちまち修正されるし、更新は全て追跡できる仕組みになっている」ということは大きな利点である。Wikipediaは情報源そのものとして機能させることはできないが、情報源紹介サイトとしては大いに我々を助けてくれる。

 「引用されている情報源はどれも、それぞれに限界やバイアスを持つ人々によるものだ。間違いやバイアスを避けることと同じくらいに重要なのは内容を素早く修正する能力だ」という箇所は注目に値する。思考の限界やバイアスから逃れることは容易ではない。いや、不可能なのかもしれない。しかし、我々は「反省」して「修正」することもできる。勿論、最初から間違いやバイアスを排除することができるのがベストだが、間違いやバイアスを犯したときに素早く反省して修正することもまたベストであると思う。我々はこのように心掛けるべきである。

 しかし、このような心掛けが普及しようとも、世界にあふれる情報が全て改善されるわけではないだろう。やはり、情報に向き合う上では、「どんな情報源に対しても注意深く、言葉の裏に隠されている意味や、不利な意見についての否定的な話などを見逃さない」ことが肝要なのである。

 今回はここまでだ。今回覚えておいてほしいのは「未だファクトチェックが機能していないインターネットには真偽不明の情報ばかりあるので、複数の情報源を確認・比較して情報の真偽を独力で判断しなくてはならない。間違いやバイアスは非常に身近でありふれたものなので、どんな情報源に対しても注意深く、言外の意味や誘導的な言葉を見逃さないようにするべきだ」ということである。

 皆さんがインターネットで怪しいと思った情報があれば、ぜひこちらへ投稿お願いします。

 また、参考文献および関連本はこちら

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