今回のテーマは「因果関係を導出するために相関関係を探る」である。引用から話を始めよう。
原因についての論証
どんな原因がどんな結果をもたらすか。これはとても重要な問題だ。人は結果が好ましければそれをさらに好ましいものにしようと思い、好ましくなければ事態を改善したいと思うものだし、その両者について適切に評価したいと考える。原因と結果を結び付けるには細心の注意と論理的思考が必要だ。
(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p80~p81)
「どんな原因がどんな結果をもたらすか」というように、人は、因果関係が存在するということを暗黙裡に前提する。「因果関係」とは「二つ以上のものの間に原因と結果の関係があること」(因果関係とは – Weblio辞書)である。しかし、とある事象に関して、その原因と結果を確定することは相当難しい。このようなことについて考えることは、「鶏が先か、卵が先か」について考えることに似ていると思う。つまり、我々は難しいことを考えることになるのである。
結婚している人は独身者よりも幸福であるという主張がなされたとしよう。この場合、原因と結果に関して二通り(本当は三通りだが、ここでは触れない。後の記事で述べる)の可能性が考えられる。一つ目は「結婚及び結婚生活という原因が幸福という結果をもたらしている可能性」。二つ目は「幸福という原因が結婚という結果をもたらしている可能性」。無論、他にも可能性があるという可能性もある。
しかし、ここでは答えや結論を出す、すなわち因果関係を確定することはできない。なぜなら、まだこのことに関してみなさんと議論をしていないし、先述の通り、そもそも因果関係を確定することは相当難しいからだ。
ここで、もう一つ引用しよう。
ルール18:相関関係から原因を導く論証
これが原因だと主張するための証拠は、一般には相関関係である。二つの、あるいは二種類の物事の間の規則的なつながりだ。
E1(出来事や状態)はE2(出来事や状態)とはっきり関連している。したがって、E1はE2の原因である。
つまり、E1はE2とはっきり関連しているので、E1がE2の原因であると、私たちは結論付ける。
逆相関(一方の因子が増加すると他方の因子が減少する関係にあること)もまた、因果関係を示し得る。また、無相関の場合には因果関係がないことを示しているかもしれない。
相関関係を追求するのは、科学的研究の戦略でもある。何が雷を起こすのか?人間はなぜ不眠症や天才や共和党員になるのか?風邪を防ぐ方法は無いのか?研究者たちはそうした興味深い状態と相関関係にあるものを探す。すなわち、雷や天才や風邪と密接に関連しており、それなしには雷や天才や風邪が存在し得ないような、別の状態や出来事を探すのだ。こうした相関関係は微妙だったり複雑だったりするが、それらを発見することはそれでもなお可能であることが多く、そのため(うまくいけば)原因をしっかり理解することができる。
(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p81~p83)
「相関関係」とは、「二つのものが密接にかかわり合い、一方が変化すれば他方も変化するような関係」「一方が増加すると、他方が増加または減少する、二つの変量の関係」(相関関係とは – Weblio辞書)である。
また、「一方が増加すると、他方が増加するという二つの物事の関係」のことを「正の相関」と言い、「一方が増加すると、他方が減少するという二つの物事の関係」のことを「負の相関」や「逆相関」と言う。加えて、「因果関係(原因と結果の関係)が存在しないという二つの物事の関係」のことを「無相関」と言う。
我々の目的は、特定の事象に関する因果関係(原因と結果の関係)を知ることである。「何」が雷や天才や風邪を引き起こすのか?という場合の「何」を我々は知りたいのである。そして、因果関係を導き出すためには、因果関係であるとみなせそうな可能性の数々を、すなわち相関関係にある事象の数々をピックアップする必要がある。
先程の「結婚している人は独身者よりも幸福である」という例で言えば、結婚と幸福という事象について因果関係にあるとみなせそうな可能性、すなわち相関関係を二つピックアップした。「結婚及び結婚生活という原因が幸福という結果をもたらしている可能性」と「幸福という原因が結婚という結果をもたらしている可能性」である。
この場合における単純な図式を示すと、相関関係を考えた結果、「結婚が先か、幸福が先か」という問いが与えられて、そのどちらかが因果関係としてみなせるだろうということになる。しかし、相関関係の時点ではまだ、結婚が原因なのか、幸福が原因なのか、結婚が結果なのか、幸福が結果なのかは分からない。つまり、因果関係とは異なり相関関係は二つの物事の方向(結婚→幸福 or 結婚←幸福)を定めないのだ。相関関係は、二つの物事の間に ”何らかの関係がある” ことを示すだけなのだ。
ちなみに、科学とは、「雷や天才や風邪と密接に関連しており、それなしには雷や天才や風邪が存在し得ないような、別の状態や出来事」、つまり相関関係を探る営みである。たしかに、「相関関係は微妙だったり複雑だったりするが、それらを発見することはそれでもなお可能であることが多く、そのため(うまくいけば)原因をしっかり理解することができる」。
しかし、うまくいくことはあまりないと思った方が良い。特に、素人の我々こそこのことを自覚した方が良い。過去の記事においても度々言及しているが、専門家や歴史上の類稀なる天才でさえ答えや結論や真実に辿り着くことは難しい。因果関係もこれらと同じだ。
ただし、因果関係を導き出そうとすることは諦めずに、上記のような科学的な態度を大事にして議論していこう。議論も科学と同じく相関関係を探る営みであると言えるかもしれない。
今回はここまでだ。今回覚えておいてほしいのは「我々の目的は、特定の事象の因果関係(原因と結果の関係)を知ることであるが、そのためにはまず、その事象に関する相関関係(二つのものが密接にかかわり合い、一方が変化すれば他方も変化するような関係)の数々をピックアップする必要がある。また、科学と同じく議論も相関関係を探る営みであると言える」ということである。
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