今回のテーマは「断言や極端化・単純化はいとも簡単に反論される」である。引用から話を始めよう。
ルール39:どうぞ謙虚に!
最後には必要十分なまとめを置く。提示してきた以上の主張をしてはいけない。
(悪い例)要するに、全ての根拠が、より多くの学生を海外へ送り出すことを支持しており、反対意見は全く筋が通っていない。交換留学プログラムの拡充を早く進めるべきではないか?
(良い例)要するに、より多くの学生を海外へ送り出すことには魅力的な利点がある。不透明な部分は残るだろうが、全体からして、これは前途有望な試みである。やってみる価値はある。
良い例の方は言い過ぎかもしれないが、主張は理解できる。反論を全て納得させるのは難しいし、ともかくも世界は不透明な場所だ。私たちの多くは専門家ではないし、たとえ専門家でも間違えることがある。「やってみる価値がある」というのは最良の姿勢なのだ。
(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p143~p144)
文章の最後には “まとめ” を書く必要があるだろう。ここで大事なのは、まとめにおいては、「提示してきた以上の主張はしてはいけない」ということだ。あくまで “まとめ” は、それまで述べてきた内容を総括するための機会であり、それまで述べてきた内容以上の(以外の)内容を提示するための機会ではないのである。まとめにおいて今まで述べてきた内容と異なる内容を提示してしまうと、まとめとそこに至るまでの道のりの間に齟齬・乖離が生じてしまい、聴衆は論証のつながりについて理解できなくなってしまうだろう。
では、次に引用内の(悪い例)と(良い例)とを比べてみよう。(悪い例)の方は明らかに断言し過ぎだ。「全ての」や「全く」という言葉を用いることによって持論を必要以上に高く評価し、反論を一蹴している。一笑に付しているようにも捉えられそうだ。そもそも、全ての根拠が特定の(一つの)主張・考えを支持することはない。もしそのように思えてしまう・言えてしまうのであれば、思慮が足りないと言えるだろう。もっと本気で他者の立場に立って持論に対する反論をいくつも考え出し、もっと真剣にそれらの反論を検討・吟味するべきだ。勿論、「全く筋が通っていない」反対意見しか考え出せないのもまた思慮の不足や経験の不足が理由であろう。
頑張って考えよう。頑張って場数を踏んでいこう。そうすれば、持論に対する反論はいくつも見つけられるし、その中には効果的な反論だっていくつもあるだろう。それらの反論に答える(応える)ことで持論をブラッシュアップしていこう。そうすることで、あなたの論証能力は向上するだろう。
一方で(良い例)の方は、持論の論証に不備や「不透明な部分」があることを認めつつ、持論が「魅力的な利点」を挙げてきたことを主張し、持論に検討する価値があることを宣伝している。議論で論証を聴衆に提示する際には、論証の内容の妥当性や信頼性を聴衆に知ってもらう必要がある。そのための宣伝は欠かすことができないだろう。良い例では、その宣伝をしっかりとしつつも、謙虚であることも忘れていない。引用内でも述べられているが、世界は不明確で不透明であり複雑であり、その世界に住まう我々は誰一人として完璧ではない。間違わない人はいない。誰もが間違う。そんな中では「やってみる価値がある」という態度をとることしかできない。
ちなみに、適切な議論においては、断言し過ぎた極端な主張は反論されやすい。なぜなら、断言し過ぎた極端な主張に対して反論することは容易いからである。上記引用内の(悪い例)で出てきた「全ての」や「全く」という箇所は反論されやすいし、その反論は論理的に妥当であることが多い。「全ての根拠が……を支持しており」という箇所に対しては「全ての根拠が……を支持しているわけではありません。例えば……」と反論できる。先述の通り、全ての根拠が特定の主張・考えを支持することはないので、その反論の方が妥当であると言えよう。
勿論、反論されること自体は別に何も悪いことではなく、むしろ良いこと、論証を磨く上でとても効果的なことである。だが、論証を作成している最中、すなわち論証を聴衆に提示するまでに、予防することのできる反論はしっかりと予防しておくべきだ。自分の論証に対して為されることが予想される反論については、論証を聴衆に提示する前に検討しておこう。「聴衆に簡単な反論をさせない」ということを心掛けるべきだ。どうせ反論されるなら、自分にとって予想外の反論が良い。自らの予想の範疇にある反論を聴衆から投げかけられて余計な時間を費やすくらいなら、最初からその反論について検討しておいて、検討した成果を自分の論証に組み込んでおこう。その方が、論証をクオリティ高く仕上げることができる。
過剰な断言や過剰な極端化・単純化は反論されやすい。それらに対して反論することは非常に容易い。しかし、そうであるがゆえに、過剰な断言や極端化・単純化は予防しやすいものでもある。反論されやすい主張や反論することが容易な主張は、裏を返せば、予防しやすい(予防できる)主張でもある。このことを是非覚えておいてほしい。
では、どのように予防するのか?論証作成の過程で、他者の立場・視点に立ちながら自分の論証に対する反論を本気で考え出し、それらの反論について真剣に検討・吟味し、上記引用内の(良い例)のように、断言と極端化・単純化を避けながら、自分の論証が不完全であることを認め、自分の論証に関して反論の余地があることを認めるのだ。そして、「自分の論証は不完全だ」という謙虚な態度を持ち続けることを心掛けるのだ。
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