今回から誤謬と詭弁の数々を紹介していく。
まず、「人身攻撃」という誤謬を紹介しよう。以下は引用である。なお、分かりやすくするために内容に若干の変更を加えている。
人身攻撃
論証そのものではなく、論証を提示する人の人格や国籍、宗教、帰属する集団などを攻撃対象にすること。十分な情報を持たない、公平でない、概ねの意見の一致が無い場合は、権威者の資格がないが、権威者とされる人に対して、それら以外の理由で攻撃を加えることは正当ではない。
カール・セーガンが火星に生命が存在すると主張したのは驚くまでもない。つまるところ、彼はよく知られた無神論者だったのだから。セーガンの主張はまるで信憑性が無い。
カール・セーガンが宗教と科学をめぐる議論の一翼を担ったのは事実だが、彼の宗教観が火星の生命の存在に関する判断に影響をもたらしたと考える根拠はない。「人」ではなく論証に注目しよう。
(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p177~p178)
「人身攻撃」はよく見られる誤謬・詭弁である。ある主張の聞き手に回る際には、主張している「人物」ではなく、「主張」そのものを捉えるようにしよう。ある主張に対して、「どうしようもない奴だから」「○○人だから」「○○教の信者だから」と反論するのは間違っている。というか、当たり前だが、議論においても、日常生活においても他人の人格を貶めてはならない。
他者の人格がどのようなものであるかは権威者の資格の有無を左右しない。引用内にある通り、権威者の資格がないとみなせるのは「十分な情報を持たない、公平でない、概ねの意見の一致が無い場合」である。
余談だが、カール・セーガンは、核戦争が氷河期を到来させるという「核の冬」や、人間にとって居住可能な環境を他の惑星に創出するという「テラフォーミング」を提唱した天文学者である。
次に、「無知に訴える論証」について紹介する。
無知に訴える論証
ある主張が否定可能であると論証できないのをいいことに、その主張を正当化しようとするもの。代表的な例としては、ある人物が共産主義者であるという主張を裏付ける証拠を求められたときの、ジョセフ・マッカーシー上院議員の次の発言が挙げられる。
その件につきましては、彼と共産主義者たちとのつながりを否定する記録は一切存在しないという当局の発言を入手しております。
指摘するまでもなく、この発言にはその人物が共産主義者だという証拠は含まれていない。
(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p178)
「ある主張が否定可能であると論証できないのをいいことに、その主張を正当化しようとする」ことは誤りである。なぜかというと、偽であることが証明されていないことをもって、真であることを証明することはできないからである。
たしかに、「偽ではない=真である」のだが、偽であることが “証明されていない” 時点・段階で、真であると断定することはできないのである。その時点・段階では、「偽である証拠」もないし、「真である証拠」もまたないのである。「偽である証拠がない」ことは「真である」ことの証拠にはなり得ない。このことは、上記の引用内の共産主義者の例を見てもらえれば分かりやすいだろう。
逆もまた然りである。真であることが証明されていないことをもって、偽であることを証明することはできない。
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