ワトソンは午前中にどこで何をしていたのか?【演繹的論証を用いてホームズのように推理する】

議論
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 今回のテーマは「演繹的論証を用いてホームズのように推理する」である。引用から話を始めよう。なお、分かりやすくするために引用の文言を少しばかり変更している。

ルール28:複数の段階からなる演繹的論証

 ワトソンがその日の午前中にある郵便局へ行ったことも、そこから電報を打ったことも、ホームズはいとも簡単に言い当ててみせる。「当たりだ!二つともきみのいうとおりだ!だが、いったいどうしてそれがわかったんだ」驚きの声をあげたワトソンに、ホームズは答える。

ホームズ「きみの靴の甲に赤っぽい土が少しついている。ウィグモア・ストリートの郵便局に入るには、どうしてもそこを通る。ぼくが知っているかぎり、そんな赤土があるのは、あの辺だけさ。そこまでは観察の結果だ。あとは推論だ」

ワトソン「なら、電報を打ったことは、どうやって推論したんだ?」

ホームズ「きみが手紙を書いたのでないことはわかってた、ずっときみと顔つきあわせて座っていたからね。それに、開いたままになっているきみの机を見たところ、切手も葉書も十分にある。そうすると、わざわざ郵便局に行くとすれば、電報を打つためとしか考えられない。よけいな要素を除いていけば、残ったものが真実に違いない」

 

 この論証を、一連の妥当な論証に分解してみよう。まずは前件肯定だ。

もしワトソンの靴の甲に赤っぽい土が少しついていたのなら、ワトソンは午前中にウィグモア・ストリートの郵便局へ行ってきたのだ。

ワトソンの靴の甲に赤っぽい土が少しついていた。

それゆえ、ワトソンは午前中にウィグモア・ストリートの郵便局へ行った。

 

 もう一つ前件肯定がある。

もしワトソンが午前中にウィグモア・ストリートの郵便局へ行ってきたのなら、彼は手紙を出したか、切手か葉書を買ったか、あるいは電報を打った。

ワトソンは午前中にウィグモア・ストリートの郵便局へ行った。

それゆえ、ワトソンは手紙を出したか、切手か葉書を買ったか、あるいは電報を打った。

 三つの可能性のうち二つは、後件否定によって除外できる。

もしワトソンが手紙を出すために郵便局へ行ったのなら、彼は午前中に手紙を書いていたはずだ。

ワトソンは午前中に手紙を書かなかった。

それゆえ、ワトソンは手紙を出しに郵便局へ行ったのではない。

 そして、

もしワトソンが切手か葉書を買うために郵便局へ行ったのなら、机のなかに切手や葉書の買い置きがたくさんあるはずがない。

ワトソンの机の中には切手も葉書もたくさんある。

ワトソンは切手や葉書を買いに郵便局へ行ったのではない。

 最終的に、全体をつなげることができる。

ワトソンは午前中にウィグモア・ストリートの郵便局へ行って、手紙を出したか、切手か葉書を買ったか、あるいは電報を打った。

ワトソンは手紙を出さなかった。

ワトソンは切手や葉書を買わなかった。

それゆえ、ワトソンは午前中にウィグモア・ストリートの郵便局で電報を打った。

 最後の結論は、範囲を拡大した選言三段論法である。ホームズの言葉どおり、「よけいな要素を除いていけば、残ったものが真実にちがいない」ということだ。

(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p108~p113)

 少々長い引用であったが、今まで紹介してきた演繹的論証の様々な形態が駆使されている。さすがホームズ!といった感じではあるが、彼はそれほど難しい推理を行っているわけではない。引用内で為されているように分解してみれば、前件肯定、後件否定、選言三段論法など至ってシンプルな論法が用いられていることが分かるだろう。

 そして、ここでホームズが行っている推理を端的に説明するならば、「考えられる可能性を列挙し、観察や推論によって矛盾をきたす可能性を除外していくもの」であると言えるだろう。

 「推理」と言えば、いかにもシャーロック・ホームズのような探偵を思い浮かべるかもしれないが、上記のような「推理」という能力・心掛けを我々も持つべきである。我々は探偵ではないが(読者の中に探偵の人もいるかもしれないが)、論証や議論をする際にはホームズのように推理する必要がある。そのために最良の友となるのが、今まで説明してきた「演繹法」「演繹的論証」なのである。

 引用内のホームズと同じように我々も、演繹的論証の様々な形態を必要や場合に応じて駆使して複雑な世界を捉え、他者の話を聴き、持論を展開するのだ。これが議論という場におけるあるべき態度だ。

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